私が思う 男女群島
~夢の島~
男女群島
そもそも男女群島と言えば、グレ釣りと言う言葉は似合わなかったっていうか、存在しなかった。
今でこそ、尾長グレ釣り場と言えば誰もが男女群島をイメージすると思うが、一昔前まで男女群島と言えば必然的に石鯛場ってことだった。
では、何時頃から尾長グレ=男女群島と思われるようになったのだろうか。
九州の尾長グレ釣りを振り返れば、1978年、30年前に九州で第一次磯釣りブームが到来し、初心者でも大グレを求めて離島へ遠征を始めたのが丁度この頃ではないかと記憶している。
その当時の尾長グレ釣り場と言えば、鹿児島県の宇治群島、草垣群島、鷹島、津倉が筆頭釣り場・メッカだった。
鹿児島県の阿久根港、川内港、串木野港、枕崎港から多くの高速渡船が各離島へ直接渡して、多くの巨の尾長グレを数多く仕留められていた。
その当時の男女群島はというと、殆んど2泊3日で費用が高く(渡船代6万円程度)高速渡船でさえ片道7~8時間かかり釣り場に着いたときはグロッキー状態、船に弱い人は敬遠の釣り場、当然尾長グレ狙いでわざわざここまで時間をかけて釣行する人は殆んど居ず、男女群島への釣り客殆んどが石鯛狙いでの釣行者だった。
話は戻るが、30年前の鹿児島の各離島では、60cmオーバーは当り前、10号ハリスでも瞬切、49本よりのワイヤーハリスでも食っていた時代、案の定こんな時代は長くは続かなかった、これらの釣り場は3年を経過したら様変わり、グレは居るがオキアミを食わないこともしばしば、各群島・離島に釣り客も寄り付かなくなり、あげくのはて多くの渡船の廃業となった
その後、一躍注目された巨の尾長グレの釣り場が男女群島だった、釣行すれば60cmオーバーの尾長グレは当たり前、70cmオーバーも居ると脚光を浴びだした。
さらに超高速渡船の出現(と言っても4~5時間)渡船費用も3万円台になり夢の島が現実の島に様変わりしたのだ。
そんな中、悲しい知らせが舞い込んだのもこの頃、皆さんも記憶に残っていると思う、「栄福丸」の大惨事だ、最新鋭の高速渡船が男女群島へ釣行中に高波で転覆、多くの釣り友が亡くなった、また、甑島へ釣行中の「開宝丸」の転覆、私の知り合いもこの事故で亡くなられた、更に、初めてトカラ列島へ瀬渡しをした最新鋭の高速渡船「第三ヒラマサ」が蛾蛇島で急に天気が変わり浅瀬に座礁しバラバラになった、毎年のように事故が起きていたのもこの時期。
その後、安全第一にと超高速の大型渡船の出現する、男女群島が3時間弱になる、誰もが手軽に釣行出来るようになったし、大型化で少々の時化でも釣行可能になった。
今では日帰りコース。。。。なんてのもある、一昔前までは考えられな~~い
今年の男女群島、60cmオーバーどころか50cm台の尾長グレも非常に少ないように思える、それに比べ40cm台の小長グレの多いこと。。。。
デカイ尾長グレが少なくなったなぁ~。。。。って思ったのは私だけぇ?
尾長グレ夢の島 男女群島ももうすぐ終焉かなぁ~?
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